かつてその昔…
 
 朱子【中国宋代の儒学者】
 
 
宗の時代の朱子(1130―1200)はこの様に云ったという。
「易はもともと卜筮のために作られたものである。後世の学者が、卜筮の説を鄙しい(いやしい)とし、言うに足らずとするのは誤りである」
(『朱子語類』)という話があります。
 
なぜ後世の学者が卜筮の説をいやしいと云うのでしょうか?

 

学者と呼ばれている輩がこだわって問題にしているのは、
 
“占い”というものと、“倫理”という立場の間で、矛盾が生じている。
 
というのです。(ここに現代のあらゆる矛盾の原点を観る気がしますが…)

 
 
彼等の云う倫理の立場からいえば、

『人間は良心の命ずるままに行動すべきであって、結果の損得は顧慮すべきでない。
ところが占いというものは、結果を先に見せてくれる。結果を見て、有利なように行動するのでは、倫理的に不純である』

 
というのが主な争点らしい。
 
この馬鹿な論争に『君達は馬鹿かね?』と
お灸を据えた時の朱子の心境を垣間見る思いがします。

 
不純かどうかはともかくとして、この話の面白いのは、易占によって先を見せてくれるといっているからには、”当たる”ということはけして否定してない処が実に面白い。
 
彼等は“易”はオカシイといいながら、もっと大事な何かは肯定している処が笑えるのであります。

 
易占なんて嘘っぱちだ!と言ってしまえば済む事を…
 
 
そんな当てにならないモノを信じるなんて馬鹿だ!
 
と言い切ってしまえない処に、自分たちで都合の良いようにこねくり回した理屈や理論では、
 
超えられない人智の及ばぬ何かの存在には知らず認めざる終えないのかなぁ…と思うと(笑)面白い!

 
世が明るくなり、人の人生がより豊かになっていくために善い事をするのに何が問題なのか?と思いますが…


問題の本質は、”今も昔も目先に囚われれると本質を見抜けなくなるのは変わらないらしい。
 
2000年も前からあまり変わっていないというのもどうかと思うが、けして人とは愚かではない!と思いたいものです。
 
 
 
易占術の世界へようこそ  戻る